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神の存在など

締め切りを過ぎた原稿に手をつける前の現実逃避な1日

同僚も危機感を覚えている行政刷新会議の事業仕分けだが、若手育成の研究費についてのWGによる評価コメントをつなぎ合わせると、以下のような作文ができる。

「実社会から逃避して、大学に留まる人」の「生活保護のようなシステム」は「本人にとっても不幸」であり、「むしろキャリア計画教育の問題」だから「博士養成に関する見直しが必要」である。

まあ、「効果の明らかな事業に絞り込んでいく」ためには補助終了後の審査をもっと高めないと駄目でしょうな。

前おきはさておき。
北大法学論集60巻3号97頁からの「質疑討論 奥田民法学と信仰」がなまらおもろい。討論のすれ違い具合と、破壊力抜群のF教授のコメントが異世界に連れて行ってくれる。
 目を引いたのが奥田教授の「一人一派でもいいじゃありませんか。…私の恩師はキリスト様です。キリスト教ではありません。『教』は人間が作り上げた教義でしょう。私はキリストっていう人格、霊的人格そのもの、それに直結している。」という言葉であり、これはジェンダーにもつながる理解だ。個人の尊厳や個々人の生き方(とりわけこれまでの人生)に直結する。
 あの奥田教授が指導教授との葛藤に悩んでいたというのはなかなか意外であった。

さてこの質疑応答にも言及があるように、神を「世俗」的に語りがたる典型は経済学者である。
 あの、誰もが恐れるジム・ヘックマンでさえThe Effect of Prayer on God's Attitude Toward Mankind (ただしアブストラクトなのでモデルがよく分からん)を書いており、おそらくそれを標的としてRasmusenがThe Concealment Argument: Why No Conclusive Evidence for God's Existence Will Be Found(神の存在は証明できない)という議論をしている。
 まあ、後者の議論は「温暖化が有害ってそもそも嘘なんじゃね?」的などんでん返しの議論なので、私の師匠ならば酒の席の話程度にしかしないレベルでの議論だろう。が、実証系の人々が、神の存在を所与にしてしまっているのに対して、神がどういう意図・戦略を持っているかを考えるべきという指摘で、なかなか面白い。
ただ神の行動の内生化は難しいので、神の存在をブラックボックスにしてしまった方が説得力の点でらくちんという気はするが、研究して「楽しい」のは内生化する方なんだろうね。     いかにも「世俗」的扱いだ。

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theme : 研究者の生活
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